tm1725tmchangのブログ

人生の終わりに備えて置く

 コロナ感染が怖くて可能な限り自宅待機をしています。食料は買いに出かけなければなりませのでマスクをし手に消毒を欠かせません。6月30日に第二回のコロナワクチン接種を受けました。一応安心できました。まだの方々がもれなく接種されますようにと願っています。

 世界がコロナで混乱している最中にオリンピックを開催することになったようです。私は中止にする提案に賛成します。コロナが一向に減少しません。オリンピックは平和の祭典であります。しかし、医療従事者がコロナと必死に戦っている現状の最中、平和な気持ちにならないのです。

 さらに、ある政治家が恐ろしい発言をしました。オリンピックに反対する人たちは反日的な人たちであると。第二次大戦における言論統制の再現のように思います。

プログを忘れていました。コロナ騒動があって新聞ラジオテレビに毎日報道されています。高齢者は感染すれば重症になりやすい、そのうえ何処で感染するか定まっていません。戦々恐々の日々が長く続いたのでプログどころでなかったのです。やっと、予防接種の一回目が八日に終わりました。二回目は30日です。二回打てば抗体ができるとのことですから安心も持てるようになりました。高齢でありますので他にも病を負って生きています。夜布団に入り寝る前に、妻と二人で今日も一日を過ごせましたねと言って感謝して眠ります。実際のところは、コロナで死ぬのか他の事で死ぬのかはわからないのです。しかし感染する病は、自分のことだけでなく、他人に迷惑をかけることになりますので医者の指示、行政の指示を受け入れながら過ごしています。皆様もお大事に。

10年前のこの日午後2時46分、私は福生教会の牧師室で、しばらくぶりに訪問して下さった、親しい友人の牧師と3人の教会員と談笑中でした。突然激しい揺れに襲われました。皆外に飛び出しました。市役所と教会の間の道路上の電線が激しく波打っていました。二度激しく揺れたと記憶しています。しかし、おさまったので牧師室に戻り解散となりました。テレビがありませんでしたので、妻が入院していた病院に行くまで悲惨な状況を全く知らなかったのです。妻の病室のテレビのニュウスを見て、恐ろしい光景に体が震えました。原発の事故の様子はチルノブイルと重なり恐ろしさに寒気を感じました。

あれから、10年が経ちました。今日は、あの日のことを思いだしながら、私は一体何をしてきたただろうかと静かに思いました。私は福島県塙町名倉で育ちました。原発からの距離は約60キロの辺りに位置しています。

家の後ろの山には、珍味の乳タケがとれました。しかし、放射能の汚染で採取禁止となりました。しかし、除染はされませんでした。

今日は、菅総理の挨拶を聞きました。復興は順調に進んで総仕上げの段階にきているというようなことを言ったように聞こえました。それは現実と合致している認識なのであろうか。

炉心溶融物が取り除かれるまで何年かかるのか、それはどこに保管されるのか、そのまえに汚染水,汚染土の処理は、そのための費用は、難問も積み重なっている。

それでも、原発は廃止しない。なぜなのだろうか。電力消費がまかない切れないからというが、いや原発に頼らなくとも十分たりるとも言われている。私は一市民として願う。為政者たちが原発事故を教訓として、生命尊重の政策を実行するように。

 

 地震津波原発事故

お休みにしていました。これから、少しづつ書いてみようと思ってます。地震津波原発事故から10年たちました。その間、私は何をしてきただろうと考えると、心が痛むばかりであります。

 日本は唯一の原爆被害国であります。それが、原発事業に如何にいかされたのであろうか。事故の想定と解決策はどれほど協議されたのであろうか。よもや、想定外だと言えば事故の責任を逃れられるとは思わなかったであろう。

 これまで、日本の国は、水力、火力、原発によって、電気をまかなってきた。私は電気の灯り、ラジオ、テレビ、洗濯機、その他すべての電気製品を使用する生活をしてきました。勿論、使用料を支払ってであります。

 しかし、原発事故が、これ程の放射能被害をもたらし、事故処理の困難

を現実に見ると、原発廃止と言わざるをいないと思います。日本の国が世界に先駆けて安全安心な電力発電の事業を推進するようになることを心から願うものであります。

 

 

 

 

 

 

、いったい誰が気づいていたであろうか。それが、いかに生かされたのであろうか。私は原発による電気

 ブログを休んでいる間、コロナが世界に蔓延して、大勢の人々が犠牲となっています。私は老夫婦で大学生の孫と暮らしています。いつコロナに感染するか不安と恐れを伴いながらの生活です。ワクチンの接種が待ち遠しく思います。研究者の人達が日夜奮闘していることを思うと心から有難く思います。

 私は、78歳、人生の終わりは、日々近づいています。その日は予測出来ません、しかし、必ず、その日は来ます。平安にその日を受け入れられるように心の備えをしたいと思っています。諦めの心で死ぬのではなく、天の故郷、私たちの永遠の故郷に帰るのだと信じて死ねるようになりましょう。