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人生の終わりに備えて置く

2019-01-01から1年間の記事一覧

聖句ー信じる者は癒やされる

キリスト者の希望 【<strong>神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてく</strong>…

聖句ー信じる者は癒やされる

夫婦のありかた 【 だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。】マタイ19章6節 これは、結婚についての主イエスの御言葉です。教会の結婚式は「神が結び合わせてくださったもの」…

聖句ー信じる者は癒やされる

平和を望みながら 【平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。】マタイによる福音書5章9節 平和はみんなが望んでいる。それなのに、なぜ、戦争はなくならないのでしょうか。 平和を実現するために戦争をするのでしょうか。 平和…

聖句ー信じる者は癒やされる

眠れない夜の祈り 【主に向かって声をあげれば、聖なる山から答えてくださいます。 身を横たえて眠り、わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。】詩篇3編5-6節 詩篇は神を信頼する人たちの祈りです。 信仰者は苦悩を神に訴え助けを求めて祈…

聖句ー信じる者は癒やされる

謙遜と高慢 【神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。】 ヤコブ4章6節。 神は謙遜な者をお喜びになられます。 高慢と謙遜はどこがどう違うのでしょうか。 広辞苑には、謙遜を「控え目な態度で振舞うこと。へりくだること」、高慢を「思…

聖句ー信じる者は癒やされる

神は永遠なる愛の父です 【あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。】 イザヤ書4…

聖句ー信じる者は癒やされる

あなたは自由に生きていますか 【わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。】1コリントの信徒への手紙6章12節…

聖句ー信じる者は癒やされる

あなたは死をどのように考えていますか 【 また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように 】ヘブライ人への手紙9章27節 誰でも、死ぬことは知っています。どんなに丈夫な人でも、どんなに地位の高い人でも、金持ちで…

聖句ー信じる者は癒やされる

禁断の木の実を食べていませんか 【主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」】 創世記2章16、17節 エデンの園は、見るに好ましく、…

聖句ー信じる者は癒やされる

あなたは愛の人ですか 【イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。】1ヨハネの手紙3章16節 聖書は最も大切なのは愛であると教えています。神を愛しなさい。人を愛しなさい。これが聖書…

聖句ー信じる者は癒やされる

一緒に祈りませんか。 【 むなしいもの、偽りの言葉をわたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせずわたしのために定められたパンでわたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働…

聖句ー信じる者は癒やされる

神を知りたいなら聖書を読もう 【父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。】ヨハネによる福音書6章46節 「いまだかつて、神を見た者はいない」(ヨハネ1:18)のです。私たちが、神を知りたいと思うなら、神を知ってい…

聖句ー信じる者は癒やされる

神に委ねて生きよう 【明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。】 マタイによる福音書6章34節 私たちは今日を生きています。昨日は過ぎたことであり、明日は来ていません。ところが、過ぎた…

聖句ー信じる者は癒やされる

神はあなたを愛しています 【神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。】 ヨハネによる福音書3章16節 私が最初に暗唱した聖句です。友人に誘われて、はじめて教会の礼拝に…

私の終活

私の終活(22)人生の果実 私は終活に際して、私の人生の果実は何だろうと自問自答した。 ある人は人生の果実を地位や名声や財であると語る。しかし、それは主イエス・キリストが実らせて下さる永遠の果実ではない。 主イエス・キリストは、ヨハネ福音書15章…

私の終活

私の終活(21)私の臨終の時 私は死ぬ時のことを考える。私は実際に死ぬのは初めてなので息を引き取られる前後にどうなるのかを知らない。ただ、臨終に立ち会った経験から言えば、息がだんだん粗くなり次第に弱くなる。そして最後の一息を吐くのである。 臨…

私の終活

私の終活(20)神の国に備えられている住まい 主イエス・キリストは父なる神の家(神の国)には住まいがたくさんある、あなたがたの住まいを用意して置くと言われた。私は主イエス・キリストの御言葉で十分である。 霊の体で神の国に復活する私たちのために…

私の終活

私の終活(19)神の国への復活はいつなのか 死人からの復活は主イエスと同じように三日目なのか、息を引き取られると同時になのか、それともイエス・キリストが再臨される世の終りの時なのか、興味は尽きることがない。 しかし、死んだ者には、死後直ちに神…

私の終活

私の終活(18)私の埋葬の遺体と復活の体 私の遺体は葬儀式の後に火葬にされてから墓地に埋葬される。墓の中には骨壺に火葬された骨を納骨して納められる。時が経てば、骨壺の骨は砂のようになり土の塵にかえる。 復活の時は、土の塵となった私の体はどうな…

私の終活

私の終活(17)主イエスの死と復活 私は主イエス・キリストの十字架の死の様を目の前に思い描く。主イエス・キリストは私たちの罪を背負い、十字架で私たち罪人の死を死んでくださった。私たちの罪は贖われ赦されたのである。これが神の愛である。 主イエス…

私の終活

私の終活(16)神の国 人間は、死んだら全て終わりであると考えている人、死後に希望を持っている人、曖昧なままに生きている人、さまざまである。 聖書は、神の国の存在を明記している。そして、主イエスに従う者は死んで葬られた後に、死人の中から復活さ…

私の終活

私の終活(15)死の様 人の死に様は多様である。人の死は老衰だけではない。幼児の死、病死、事故死、戦争による死、自然災害による死等々、多様である。私の息子は幼くして交通事故で死んだ。 私たちは悲惨な死に様を見ると、神は無慈悲である、神は無力で…

私の終活

私の終活(14)最期の一息 私の人生は最期の一息(命の息)を吐いて終わる。そして、私の遺体は墓に埋葬されて俗世から姿を消すことになる。 神が私の死ぬ時を定めて下さる。神だけが人の生と死を決める権威を持っておられるのである。その権威は何人にも与…

私の終活

私の終活(13)私の死 私の死の様は他の人たちと同じである。息は止まり、血液の流れは止まり、身体は冷たくなり硬直し、腐敗し骸骨となる。遺体は腐敗する前に埋葬される。 そして臨終に立ち会う人たちは別離の寂しさと悲しみに襲われるであろう。それは世…

私の終活

私の終活(12)救い主イエス・キリスト 神は人を本来のあるべき状態に戻すために、イエス・キリストをこの世に遣わされた。それがクリスマスである。 イエス・キリストは、この世から出た者ではなく、天地万物の創造主である神の御子であって、神の国から来…

私の終活

私の終活(11)死と復活 私は教会で聖書の証言を説き明かしてきた。最も難しいのは聖書に記されている死と死後を説き明かすことである。この世に生れた者は死ぬことになっている。それは自然に受け入れられることのように思われる。しかしそれは否である。 …

私の終活

私の終活(10)アダムとエバ 聖書は原初の人をアダムとエバの物語を記している。神は塵から人を創造され「命の息」を吹き入れて生きるものとされた。エバはアダムと共に生きる存在としてアダムの肋骨を用いて創られた。そしてアダムとエバは、神の恵み溢れる…

私の終活

私の終活(9)人は何故に死ぬのか この世では人の死ほど一般的なものは他にない。この世に生まれた全ての人が死ぬのである。私もあなたも死ぬのである。 この世での人の営みは様々である。しかし、人の営みは死ぬことで終わるのである。人生の終わり方は死…

私の終活

私の終活(8)神の国 神の国は人間の知恵や知識で思い描けない。神の御子イエス・キリストが世に告知され御力によりその一部をこの世で具現された。それを目の当たりにした人たちは驚嘆し神を讃美したのである。 神の国では、病める者、肢体の不自由な者は…

私の終活

私の終活(7)キリスト者の死 私は死に臨む時、不安と恐れと孤独と苦痛に、苛まれるかも知れない。しかし、それは病に苦しむ幼子が母の腕の中で病と闘う様の如くである。主イエス・キリストは死に逝く私を孤独に捨て置かれない。 ステパノが殉教の死を遂げ…