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人生の終わりに備えて置く

10年前のこの日午後2時46分、私は福生教会の牧師室で、しばらくぶりに訪問して下さった、親しい友人の牧師と3人の教会員と談笑中でした。突然激しい揺れに襲われました。皆外に飛び出しました。市役所と教会の間の道路上の電線が激しく波打っていました。二度激しく揺れたと記憶しています。しかし、おさまったので牧師室に戻り解散となりました。テレビがありませんでしたので、妻が入院していた病院に行くまで悲惨な状況を全く知らなかったのです。妻の病室のテレビのニュウスを見て、恐ろしい光景に体が震えました。原発の事故の様子はチルノブイルと重なり恐ろしさに寒気を感じました。

あれから、10年が経ちました。今日は、あの日のことを思いだしながら、私は一体何をしてきたただろうかと静かに思いました。私は福島県塙町名倉で育ちました。原発からの距離は約60キロの辺りに位置しています。

家の後ろの山には、珍味の乳タケがとれました。しかし、放射能の汚染で採取禁止となりました。しかし、除染はされませんでした。

今日は、菅総理の挨拶を聞きました。復興は順調に進んで総仕上げの段階にきているというようなことを言ったように聞こえました。それは現実と合致している認識なのであろうか。

炉心溶融物が取り除かれるまで何年かかるのか、それはどこに保管されるのか、そのまえに汚染水,汚染土の処理は、そのための費用は、難問も積み重なっている。

それでも、原発は廃止しない。なぜなのだろうか。電力消費がまかない切れないからというが、いや原発に頼らなくとも十分たりるとも言われている。私は一市民として願う。為政者たちが原発事故を教訓として、生命尊重の政策を実行するように。