私の終活
私の終活(21)私の臨終の時
私は死ぬ時のことを考える。私は実際に死ぬのは初めてなので息を引き取られる前後にどうなるのかを知らない。ただ、臨終に立ち会った経験から言えば、息がだんだん粗くなり次第に弱くなる。そして最後の一息を吐くのである。
臨終に立ち会っている人たちが声をかけてくれても果たして聞こえるのかどうかわからない。
ある人は息が途絶えるまで聴力は機能しているのだと言う。しかし、実際のところはわからない。
命の息が途絶えるとき、静かに途絶えるか、大きく息を吐いて途絶えるか両方あるようである。
息が止まる時は苦しいのか、苦しくないのかわからない。臨終に立ち会うと苦しそうにも思える、そうでないようにも思える。
私の兄は四〇歳で死んだ。車で家に帰る途中、赤信号で停止すると同時に意識不明となり、人口呼吸器で延命治療を受けた。しかし、意識は戻らずに一カ月後に死んだ。
人口呼吸器で生かされている有様は苦しそうで見るに忍びなかった。医者は痛みや苦しみを感じていないからと言ったが。私の死の様はどうなるのかわからない。
息絶えるまでは、暗いトンネルを通り抜けるような不安と恐れに襲われるのかも知れない。しかし、たとえ私が苦しみながら息絶えるとしても、永遠に平安な神の国に迎えられると信じている。
臨終の確認は医師によって行われる。息が完全にとまったことを確認するのである。そして立ち会いの遺族に告知される。
私の臨終の場に、牧師が立ち会っていてくれたら、そして、環境が可能であれば、私が最期の一息を引き取られる前に、私のための最後のとりなしの祈りを捧げてくれることを願いたい。そして私の最後の一息が引き取られた後は、御国へ召されたと信じて神に讃美を献げてくれるように願っている。
私が死んだ後は私のために祈らなくて良いのである。私は神の国に迎えられて主イエス・キリストが用意して下さった住まいで生きているのだから。
ー聖句ー
「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」 ヨハネ14章3節