tm1725tmchangのブログ

人生の終わりに備えて置く

後期高齢者になって

 

 今年の夏は暑いと予想されている。私が冷たくておいしいものと言えばそうめん、ひやむぎ、冷やし中華の類である。子供時代は母の手打ちうどんとそばをよく食べた。さほど好物ではなかったので嬉しくなかったこともあった。

 ところが、高齢(78歳)になった今は、旨いなあと思える。私自身が手打ちうどんを作って楽しんでいるのである。乾麺のひやむぎやそうめんは何度たべても飽きないし旨いなあと思うのである。食べながら、死んで久しい父や母を想い出すこともしばしばである。

 歯はあまり固い物を噛み砕けないようになり、のど越しの良い物を求めるようになっている。若いころは、固い物が好物であった。いまでも、固焼きのせんべいなど大好きである。

 しかし、これからは、噛まずに飲み込めるもの、喉越しの良いもので生きるようになるのだと思う。麺類は実にありがたい食べ物である。感謝をしながら、氷水でそうめんを冷たくして食べて、今年の暑い夏を乗り越えたいと思っている。

 

父の日に想う

 私は78歳で、一人息子の父である。息子は父の日に心のこもったプレゼントをしてくれる。今年は釣り着のベストであった。私は退職して釣りを楽しんでいる。息子はこれまでも釣りの仕掛けや釣り場の分かる雑誌などをプレゼントしてくれた。その度に過分な幸いを味わっている。

 父の日はこうして始まったといわれる。ある父親が、妻の死後、懸命に6人の子供を育て上げた。その父親をたたえる人々が、牧師の協会を訪ねて、母の日と同じように父の日も設けてほしいと懇願したのである。母の日は、すでにキリストの教会から発生して大事な行事となっていた。

 最初の父の日の式典は、1910年に行われ、1966年に第36代大統領、リンドンジョンソンが6月の第三日曜日を父の日と定めた。正式な行事となったには1972年だとのこと。以上はスマホの情報から得た。

 父の日の原点は一人の父親が懸命に6人の子供を育てあげたことにある。

私は子供を育てることにどれほど懸命になっていたかを思うと恥じ入るばかりである。息子から届く父の日のプレゼントは、この上なく有り難くうれしい。しかし、父親としての愛があまりにも不足していたことに心痛むことも正直な気持ちである。

 

父の日に想う77歳の私

 私は自分の終末に備える歳を生きている。両親は戦後の昭和21年開墾をはじめた。父は棚倉町堤の出で名主の次男であった。父は分家にならずに自由な生活を選択した。母は結婚し子供を7人産んだ。怠け者ではなかったけれど、雨や雪で開墾作業が休みになると、花札賭博にのめりこんでいたのである。母の嫁入りの着物は全て父の賭博の支払いで無くなった。それは、開墾に従事するようになってからも続いていたらしい。母の苦労は言語に絶する。父は私にとって怖い存在でしかなかった。

 かくして、私は父の存在に感謝の思いを持てなかった。開墾は並みの苦労ではない。湿地は耕して田んぼにする。米がとれるようになるには3年程かかる。畑は山の木を切り倒し根を掘り起こして作る。全部が手作業であり大変な忍耐と労力を要した。後になって、正直、よくも立派な畑と田んぼにしたものだと、父母、そして、姉夫婦に尊敬の思いをもった。

 小中学校は、開墾地から片道4キロの道程であった。小学一年生には苦労とであった。雪が積もると父や姉が足跡を付けてくれた。9年間一日8キロを歩いたのである。それは大変であったが、今は足腰が鍛えられていて有り難いと思っている。

 父は、酒を飲みすぎて、脳梗塞を発症し下半身不随となった。酒を飲まないと、苦労に耐えられなかったのだろうと思う。開墾は、苦労が実りそれなりに成功した。お米も他の作物も、豊かに収穫できるようになった。姉夫婦が後継者になったのを見て、安心して死んでいったと思っている。逝去は開墾して25年目の70歳であった。今私は両親に感謝することの足りなさに心を痛め詫びている。改めて、有難うございました、と感謝している。

 以上が、私の父の思い出である。姉夫婦が年老いて農作業が出来なくなった。子供たちが、だれも農業を受け継ごうとしなかった。今は、山の中の開墾地に家だけ残っている。開墾地が荒地になるのも家が朽ち果てるのもアッという間である。

 

 

聖句ー信じる者は癒やされる

キリスト者の希望

【<strong>神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。】  1ペトロ1章4-5節                    

                        

 私たちは「終わりの時」に実現する希望を与えられています。それは「天に蓄えられている」救いをうけること、つまり、復活の身体と永遠の生命を頂くことであります。

 この希望は、主イエス・キリストによる罪の贖いと復活によって保証されている希望であり、聖霊に導かれて信仰により、受け取る希望であります。  

 私たちの父なる神は御子なるキリストにより、人生の目標である希望を与えて下さり、更に「神の力」(聖霊)により「信仰によって」希望が私たちに実現するように守ってくださいます。ありがたいことであります。教会に来て聖書を学んで確信を深めてください

聖句ー信じる者は癒やされる

夫婦のありかた

【 だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。】マタイ19章6節

 これは、結婚についての主イエスの御言葉です。教会の結婚式は「神が結び合わせてくださったもの」と信じて行われます。その結婚を、神は祝福してくださるのです。  

 主イエスは、次にこう言われます。「人は離してはならない」。神が結び合わせてくださったのだから、人の思いで離婚してはならないのです。      

 離婚は、お互いに嫌になったとしても、してはならないのです。離婚は神に祝福されません。夫婦の結びは、互いに歩みより、赦しあい、努力しあいながら、保つように求められているのです。

 子供が生まれたらなおさらのことです。子供の心は、親の勝手な、わがままな離婚で引き裂かれるのです。どちらかが引き取って育てれば良いというようなことではないのです。  

 子供に我慢をさせるのでなく、親が我慢をするのです。子供の心を傷つけるのでなく、親が心に傷を負うのです。子供を犠牲にするのでなく、親が犠牲を負うのです。  

 この夫では、この妻では、幸せになれない、幸せになるために離婚したい、親は、自分たちの幸せのために離婚する、そのように考えるのはよしなさい。  

 親は、自分たちの幸せを捨てて、子供の幸せのために生きれば良いのです。そのような思いで結婚してください。そのような親、夫婦は、必ず神の祝福を得るのです。そして、子供は、喜び、感謝するのです。

聖句ー信じる者は癒やされる

平和を望みながら

【平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。】マタイによる福音書5章9節

  平和はみんなが望んでいる。それなのに、なぜ、戦争はなくならないのでしょうか。 平和を実現するために戦争をするのでしょうか。

 平和は戦争をしないことでしょう。 聖書の言う幸いな人は、戦争をしないで平和を実現する人々のことです。 隣人愛と自己犠牲と忍耐が必要です。

 ところが、私たちの隣人愛は貧弱で自己愛に富んでいます。 他人を犠牲にして目的を達成しようとします。 そして性急に判断を下します。

  先ず、私たち一人一人が、平和を実現するために相手を犠牲にしないように生きることです。身近な隣人との間で、夫婦の間で、親子の間で、兄弟姉妹の間で、愛と自己犠牲と忍耐を養い平和を実現することからはじめましょう。

  相手の言い分をまず聞くこと、相手の行動の良し悪しを性急に断定しないこと、自分がして欲しくないことを相手にもしないように努力すること等々は、平和実現するために大切なことであると思います。

 平和とは相手も自分も共に生きることです。